かつての東慶寺は尼寺で、「駆け込み寺」とも「縁切り寺」とも呼ばれた女性救済のための寺でした。
八代執権北条時宗の妻覚山尼が開いた寺で、後醍醐天皇の皇女用堂尼が入山すると松岡御所と称されるようになります。
豊臣秀頼の娘天秀尼が入山すると、徳川家康により「縁切寺法」が認められ、1872年(明治5年)まで存続していました。
※天秀尼は、徳川秀忠の娘千姫の養女。
新年になると見頃を迎えるロウバイ
東慶寺は、現在でも「縁切り(悪縁消除)のスポット」として知られています。
「良縁を結ぶ」ためには、まず「悪縁を切る」ことが必要かもしれません。
★女性を救った駆け込み寺
★天秀尼の念持仏
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