頼朝は、挙兵前に法華経を千回読むつもりでいたようですが、それを達成することが難しくなりました。
そこで、「たとえば八百回読んだとしたら功徳をつむことはできるのか?」
と覚淵に訪ねたといいます。
すると覚淵は「八百回でもご利益はあるでしょう」と答えたといいます。
伊豆山神社は「伊豆山権現」・「走湯権現」とも呼ばれ、源頼朝や北条政子が崇敬した神社。
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8月17日、頼朝は挙兵し、伊豆国の目代山木兼隆を討ちます。
兼隆を討ち取ったのは佐々木盛綱と加藤景廉でした。
そして、この加藤景廉と覚淵は兄弟だといわれています。
その後、覚淵は北条政子と大姫を匿い、頼朝が石橋山で敗れると、二人を秋戸郷に逃しました。
また、覚淵と加藤景廉の父景員は、箱根山中で出家し、伊豆山権現に入ったといいます。
般若院(熱海市)
伊豆山権現の別当寺として栄えた般若院は、覚淵が創建した密厳院を前身としているといいます。
密蔵院は関東護持の祈祷所だったといいますが、豊臣秀吉の小田原攻めの際に焼けてしまったといいます。
最明寺(大井町)
大井町にある最明寺は、源延が松田山に建てた西明寺を前身としているといいますが、源延は頼朝の信任を得て伊豆山権現の別当となっています。
この源延も覚淵と加藤景廉の兄弟だといいます。
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