琵琶湖に浮かぶ竹生島は、古くから弁才天と観音の聖地として信仰されてきた島。
戦国時代に北近江を支配した浅井氏三代の領内にあったことから、浅井氏にとっては極めて重要な信仰の場でした。
1558年(永禄元年)の「永禄の大火」で島内の堂塔・社殿がことごとく焼失しまうと・・・
三代当主の浅井長政は島内の宝厳寺や竹生島神社の復興に深く関わり、織田信長との戦いで籠城中であったにもかかわらず、復興のための材木を筏を組んで島へ運ばせていたのだといいます。
信長も、この復興作業を攻撃せず黙認していたのだと伝えられています。
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宝厳寺と竹生島神社は、明治の神仏分離までは一体化した宗教施設でした。
宝厳寺には浅井長政の父久政や祖母寿松が奉納した弁財天が祀られています。
竹生島神社には浅井氏の氏神・浅井比売命が祀られています。
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1573年(天正元年)、浅井長政の小谷城が織田信長に攻められ、浅井氏は滅亡。
竹生島の復興資材は・・・
北近江の地を与えられた羽柴秀吉が蓄えられていた材木を長浜城の築城に流用しています。
長浜城は、小谷城の部材や竹生島の復旧資材などを集めたことで短期間で完成しますが・・・
資材を没収された竹生島の復興は滞ることに。
竹生島の伽藍を復興させたのは、浅井長政の長女・茶々(淀殿)が産んだ豊臣秀頼でした。
現在の唐門・観音堂・舟廊下・竹生島神社本殿は、秀頼が秀吉ゆかりの建物を移築したもの。
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