『鎌府勝景』(けんぷしょうけい)は、
鶴岡八幡宮再建の際に作事方の役人として鎌倉に滞在していた海老原利啓が描いた写生図で、江戸時代後期の鎌倉の景観(勝景)を今に伝える貴重な史料。
極楽寺塔頭吉祥院門前の千服茶臼・星月夜井側の坂ノ下の高札場・鶴岡八幡宮寺の供僧坊(二十五坊)など、当時の風物を細かく伝えています。
2026年(令和8年)、鎌倉市の文化財に指定。
かつては四十九の支院があったという
極楽寺。
現在は吉祥院を残すのみですが、門前には開山の
忍性が病人や貧民に茶を薬として服用させるために茶をひいた臼と伝えられている
千服茶臼が描かれています。
坂ノ下の
虚空蔵堂の下のある
星ノ井は
鎌倉十井の一つ。
別名を「星月夜井」。
側には高札が掲げられています。
1191年(建久2年)、
源頼朝は「供僧二十五口の制」を定め、
鶴岡八幡宮の裏山(御谷)には
僧坊が置かれました。
鎌倉幕府滅亡後は七坊までに減少し、1593年(文禄2年)に
徳川家康が五坊を復興して十二坊となりますが、1868年(慶應4年)の神仏分離令により廃絶しています。
※上の画像は鎌倉市HPより