かつて鎌倉にあった永福寺は、1192年(建久3年)、源頼朝が奥州平泉の中尊寺、毛越寺、無量光院などを模して建てた寺院。
1405年(応永12年)に焼失した後、廃絶したものと考えられ、現在は基壇と苑池が復元されています。
発掘調査では、中心に二階大堂、南に阿弥陀堂、北に薬師堂が回廊(複廊)で結ばれ、阿弥陀堂の南と薬師堂の北には苑池へと延びる翼廊を従えていたことが確認され、それぞれの翼廊の先端は釣殿となっていたと考えられています。
では、永福寺建立に関わった大工は・・・
遺物の軒瓦の中には、鶴岡八幡宮や北条時政が伊豆に建立した願成就院のものと同じ型を使って作られたものも含まれていて、時政が願成就院を建てた大工や瓦職人を頼朝に斡旋したのだという推測が成り立つのだとか。
願成就院と言えば運慶。
願成就院の阿弥陀如来像・毘沙門天・不動明王・矜羯羅童子・制咤迦童子の諸像は、胎内造像銘札により運慶の真作と判明しています。
そして・・・
近年では永福寺の造仏も運慶が担当したとする説が有力となってきています。
源実朝誕生時の祈願所となった横須賀の曹源寺の十二神将像は、運慶周辺の仏師によるものと考えられ、永福寺の薬師堂にあった十二神将像の模刻と考えられています。
2025年9月9日から
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