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2025年6月30日月曜日

源頼朝が一目置いた平重衡の供養塔~木津川:安福寺~



平重衡は平清盛の五男。

1180年(治承4年)12月28日の南都焼討東大寺興福寺を焼いてしまった武将。

1183年(寿永2年)2月7日、一ノ谷の戦いで捕えられ、鎌倉へ送られてきますが、重衡の態度に感心した源頼朝は、工藤祐経に接待を命じ、侍女の千手前を仕えさせて重衡を客として厚遇したそうです。

鎌倉の教恩寺阿弥陀如来像は、頼朝が重衡に与えたものと伝えられています。

しかし、1185年(元暦2年)3月、壇ノ浦で平家が滅亡すると、鎌倉の重衡は南都に引き渡されることとなり、6月23日、木津川で斬首されました。

木津川市の安福寺十三重塔は重衡の供養塔と伝えられています。




安福寺の本尊・阿弥陀如来像は、重衡が最後に拝んだ仏像。





一ノ谷の戦い

南都焼討と東大寺の再興 ~重源と源頼朝~








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