平安時代、浄土信仰の広まりで阿弥陀堂の建立が盛んに行われました。
その始まりは慈覚大師(円仁)が
延暦寺に建立した
常行堂。
藤原道長が帰依した源信(恵心僧都)が修行をした
横川の
恵心堂は、浄土信仰発祥の地といわれています。
貴族階級が競うように阿弥陀堂を建立した中で、1020年(寛仁4年)に創建された
道長の
法成寺は最大規模のものだったようです。
法成寺の造仏を担当した定朝でした。
道長の没後、東北地方は戦乱の時代となります。
そして、陸奥・出羽の両国を手に入れることになったのが
藤原清衡。
1105年(長治2年)、
清衡は前九年、後三年の役の犠牲者を敵味方なく供養するための仏国土建設を開始。
中尊寺には多くの堂塔が建立され、1124年(天治元年)には清衡の廟堂としての阿弥陀堂(
金色堂)が建立されました。
2024年(令和6年)は
金色堂建立から900年。
『吾妻鏡』によると、堂内の阿弥陀三尊・二天・六地蔵は定朝の作。
宇治の
平等院は、
道長の別荘「宇治殿」を始まりとする寺。
1053年(天喜元年)に落成した阿弥陀堂(
鳳凰堂)は、
法成寺の阿弥陀堂を参考にして建立されたのだといわれています。
本尊の阿弥陀如来は定朝が造立しました。
『吾妻鏡』によると、奥州藤原氏三代当主の
藤原秀衡が平泉に建てた
無量光院は、平等院を模していたのだといいます。