恋多き歌人として知られる和泉式部。
橘道貞という夫がいましたが・・・
冷泉天皇の第三皇子・為尊親王と恋愛関係に。
道貞との婚姻生活は破綻し、親からは身分違いの恋であるとして勘当されたのだとか。
1002年(長保4年)、為尊親王が薨去すると、翌年・・・
今度は為尊親王の弟・敦道親王(第四皇子)と恋愛関係に。
敦道親王は、和泉式部を邸に住まわせますが、正妃が激怒して出て行ってしまったのだらしい(のちに正妃とは離婚。)。
1006年(寛弘3年)頃、和泉式部は男子を出産しますが、翌年、敦道親王は薨去しました。
この頃、一条天皇の中宮・藤原彰子に仕えるようになったらしい。
黒髪の
みだれもしらず
うち臥ふせば
まづかきやりし
人ぞ恋しき
和泉式部の代表的な恋の歌。
「黒髪が乱れるのもかまわず横になっていると、この髪を手でかきあげた人が恋しく思われる・・・」
今はただ
そよそのことと
思い出て
忘るばかりの
憂きふしもなし
敦道親王に死別して詠んだ歌。
「敦道親王に死なれてしまい、今は楽しいかった事を思い出して泣くばかり。
親王の事が忘れたくなるほど辛い思い出があればよかったのに」
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