石清水八幡宮は、859年(貞観元年)、宇佐八幡宮に参籠した行教が
「われは都の近くに移座して国家を鎮護したい」
という託宣を受けて石清水男山に創建したことに始まるのだと伝えられています。
京都の裏鬼門を守護する神社として尊崇され、源氏は氏神として信仰しました。
伝説によると・・・
源頼義が石清水八幡宮に参籠したとき、社殿で三寸の霊剣を賜った夢を見ます。
夢から覚めると枕元には小剣が置かれていました。
この霊夢を見た月に妻が懐妊し、誕生したのが源義家でした。
義家の生年は、はっきりとしませんが、1039年(長暦3年)という説が有力です。
その後、7歳となった義家は、石清水八幡宮の神前で元服し「八幡太郎」と号したとのだいいます。
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石清水八幡宮を深く信仰していた源頼義は、1063年(康平6年)、前九年を平定した後、鎌倉の由比郷に石清水八幡宮を勧請し、社殿を創建しました(由比若宮)。
1081年(永保元年)には、義家が修理を加えたと伝えられています。
これが、鶴岡八幡宮の始まりです。
1180年(治承4年)8月、平治の乱後、伊豆国に流されていた源頼朝が源氏再興の挙兵をします。
10月に父祖ゆかりの鎌倉を本拠とした頼朝は、由比若宮を小林郷に遷座。
武家の都市づくりの中心に据えました。
1191年(建久2年)に焼失してしまいますが、頼朝はすぐさま再建にとりかかり、改めて石清水八幡宮の神霊を迎えています。