紫式部が越前へ下向する前から求婚していたと思われる藤原宣孝。
越前にいる紫式部へも求婚の文を送っていたようです。
紫式部公園の歌碑には、紫式部が宣孝の文への返歌が刻まれています。
「春なれど 白嶺の深雪 いや積り 解くべきほどの いつとなきかな」
(春になっても私のあなたに対する気持ちは解けません・・・)
宣孝は、
「年が明けたら唐人を見にそちらへ参ります」
言っていたようですが、年が明けると、
「春になれば氷さえ解けるもの。あなたの心もとけるものだと、どうにか教えてあげたい」
と言ってきたらしい。
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