長徳の変があって中宮の藤原定子が宮中を去った後、一条天皇に入内した藤原元子が懐妊。
出産のため、元子は承香殿から堀河院に移りますが・・・
その一行が弘徽殿の細殿を通るところを、藤原義子の女房たちが群がり御簾越しに見物していました。
元子の侍女がこれを見て
「簾のみ孕みたるか」
(弘徽殿女御(義子)は懐妊しないで、簾のみが膨らんでいる)
と言って嘲弄したのだといいます。
しかし・・・
出産を迎えた元子の腹からは水が流れ出るばかりで、とうとう赤子は出てきませんでした。
出産にあたって大騒ぎをしていた父の顕光と元子は、世間の嘲笑を受けたのだとか。
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