5月の庚申の夜が更けた頃、藤原伊周が女房たちに歌を詠むよう命じます。
しかし、清少納言は中宮・藤原定子の許可を得て歌を詠みませんでした。
この歌会で定子は
「元輔が 後といはるる 君しもや 今宵の歌に はづれてはをる」
という歌を清少納言に贈っています。
(有名な歌人・元輔の娘のあなたなのに、今宵の歌会には参加しないのね)
清少納言は、
「元輔の娘といわれない身であれば、まっさきに詠むでしょう。
父の名誉に遠慮する事情がなければ、詠めと言われなくても千首もの歌が口からでてくるでしょう」
と申し上げたのだとか。