2月の初午の日、清少納言は朝早くから伏見稲荷に参拝。
稲荷山に登り始めますが、中の御社のあたりで疲れてしまいます。
それでも我慢して登っていると・・・
後から登って来る人たちが、苦しそうな感じもなく、追い抜いていく。
それを見て「凄いこと」と感動したのだとか。
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疲れを我慢して登る清少納言ですが、坂の途中なのに巳の刻頃(午前十時頃)になってしまいます。
だんだん暑くなってきて、情けなくなり、
「何でこんな日に。
もと良い日があっただろうに。
何のために今日参拝しているのだろう?」
と思い涙が落ちてきます。
疲れ切って休んでいると・・・
壺装束(旅に出る際)も着ないで、着物の裾をたくし上げて下りて来る四十歳を過ぎたくらいの女性に会います。
その女性が道行く人に語り掛けていた話によると、
七度詣をしている途中で、もう三度はお参りし、あと四度お参りして未の刻頃(午後二時頃)には帰るらしい。
普通の所では目にも留まらない女性でしたが、清少納言はこの女性に成り代わりたいと思ってしまったのだとか。
全国の稲荷社の総本宮伏見稲荷大社は、711年(和銅4年)2月7日の初午の日に渡来系豪族の秦伊呂巨が、稲荷山の三つの峰に神を祀ったことに始まるのだと伝えられています。
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