『紫式部日記』によると・・・
子どもの頃、弟の藤原惟規が漢詩を読んでいるときに、紫式部もそばで聞き習っていたのだそうです。
惟規は覚えるのも遅く、忘れてしまったりしていましたが、紫式部は不思議なくらいに早く理解していたようです。
そのため、父の藤原為時は、
「この子が男でなかったことは、幸せがなかった」
と嘆いていたのだとか。
漢学・漢詩に秀でていた為時は、のちに越前守になりますが、一条天皇に漢詩を送って実現したという逸話があります。
📎一条天皇に漢詩を奏上して越前守となった藤原為時
また、中宮・藤原彰子に仕えることとなる紫式部は、一条天皇から漢学の知識を評価されています。
📎中宮彰子に新楽府を進講する紫式部
☆ ☆ ☆ ☆ ☆