法勝寺は、摂関家の別邸・白河殿に建てられた寺院。
白河殿は、藤原道長・その子頼通も所有し、一条天皇の中宮・藤原彰子が出家後の住まいとしました。
その後、白河殿を譲り受けた白河天皇は法勝寺を創建。
1204年(元久元年)、源実朝が坊門信清の息女・坊門姫を正室とする際、後鳥羽上皇は坊門姫の出発の様子を法勝寺西大路鳥居の桟敷から見物していました。
法勝寺には、高さ約80メートルといわれる八角九重塔が聳えていました。
1208年(承元2年)に焼失してしまいますが、栄西が大勧進となって再建されました。
後醍醐天皇の皇子・護良親王は、梶井門跡(現在の三千院)に入室し、比叡山延暦寺の貫主(天台座主)となって大塔宮と敬称されますが、
大塔とは「法勝寺の九重塔のこと」という説があります。
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