在原行平は、光源氏のモデルの一人とされる平安時代前期の公卿。
松風村雨堂は、須磨に蟄居していた行平が都に帰った後、愛人だった松風と村雨が行平の無事を祈って建てた庵の跡。
(須磨離宮公園)
行平は、しばしば裏山で月見をしていたため、後世、裏山は月見山と呼ばれるようになったのだという。
須磨離宮公園は、月見山にあった皇室の別荘・武庫離宮の跡地で、園内には在原行平の月見の松碑が建てられている。
行平が信仰した多井畑厄除八幡宮の西にある二基の五輪塔は、在原行平の愛人だった松風と村雨の墓。
(大津市:石山寺)
石山寺の源氏の間は、紫式部が『源氏物語』を書き始めたという所。
蟄居を余儀なくされた在原行平の須磨での日々を重ねあわせながら、「須磨」・「明石」の両巻から書き始めたのだという。
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