菅原道真は無実の罪で大宰府に左遷され、同地で没します。
その後、都で起きた天変地異が道真の祟りと恐れられ、神として祀るため北野天満宮が創建されました。
そのため、天神は「冤罪から救う神」として信仰されるようになります。
荏柄天神社では・・・
謀反の罪により捕えられた渋川兼守は、悲しみのあまり和歌十首を奉納し、それを源実朝が見たことで無罪となっています(和田合戦)。
子の冷泉為相の正当性を訴えるため鎌倉に下向した阿仏尼は、百首の和歌を奉納して勝訴しています。
947年(天暦元年)、多治比文子、近江国比良宮の神主・神良種、北野の朝日寺の僧最珍らが道真を祀る社を建てたのが北野天満宮の始まり。
987年(永延元年)には、一条天皇の勅使が派遣され、「北野天満宮天神」の神号が与えられました。
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