織田信長亡き後、徳川家康は武田の遺領・甲斐・信濃・上野の反乱を鎮圧するため出陣(天正壬午の乱)。
そして、小田原の北条氏直と戦うことに(若御子対陣)。
家康は、武田勝頼が築いた新府城に布陣。
戦いは7月から10月まで続いたが、上野国を北条氏が、甲斐国・信濃国を徳川氏がそれぞれ領有することで和睦している。
新府城跡の藤武神社は、藤井庄と武田庄を見下す所に鎮座することから藤武という名称なのだとか。
藤武神社は、甲州征伐で焼失してしまっていたが、若御子対陣で新府城を本陣とした家康は、戦後、藤武神社を再建したのだと伝えられている。
再建担当者は、松平信康の守役だった平岩親吉。
天正壬午の乱後に築かれた甲府城は、親吉によって築き始められたともいわれる。
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