1579年(天正7年)9月15日、徳川家康の嫡男・松平信康は、武田に内通していたとして、遠江国の二俣城で切腹させられました。
廟所には、信康自刃の際に殉死した吉良初之丞、二俣城主だった大久保忠世、三方ヶ原の戦いで討死した中野正照・青木吉継の墓もあります。
当時の二俣城の城主は大久保忠世。
信康を自害させたことを悔やんでいたという忠世は、のちに小田原城に入ると、城下に信康を供養するための萬松院を創建しています。
介錯を命じられたという服部半蔵は、江戸麹町に信康の慰霊のために安養院を創建しました(現在の西念寺)。
信康の切腹は、正室・徳姫が織田信長に送った十二ヶ条の訴状が原因ともいわれますが、近年では、家康と信康の対立が原因という説があります。
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