徳川家康の嫡男・松平信康の守役だった平岩親吉。
1579年(天正7年)、織田信長は、家康に信康を切腹させるよう命じます。
親吉は守役としての責任から、自らの首を信長に差し出すことで、信康の助命を願ったのだですが、願いは叶わず・・・
信康は9月15日、二俣城で切腹させられました。
(浜松市)
当時・・・
信康が城主だった岡崎城では、大岡弥四郎が謀反を起こし処刑され、長篠の戦い後には、家康の伯父水野信元が武田に内通したとして大樹寺で誅殺されています。
信康と母の築山殿も信康の正妻・徳姫(信長の娘)に武田内通を讒訴されました。
築山殿は8月29日に殺害されています。
(浜松市:清瀧寺)
清瀧寺の信康の霊廟には、殉死した吉良初之丞、二俣城主だった大久保忠世、三方ヶ原の戦いで討死した中野正照・青木吉継の墓もあります。