(建長寺)
『吾妻鏡』によると・・・
1227年(嘉禄3年)5月14日、六波羅探題北方の北条時氏の正妻松下禅尼が男子を出産。
名医の和気清成が立ち会ったので無事な出産だったのだそうです。
この男子がのちの五代執権北条時頼。
(六波羅蜜寺)
六波羅探題は、1221年(承久3年)の承久の乱後に設置された鎌倉幕府の出先機関。
六波羅蜜寺には六波羅探題府址の碑が建てられています。
『吾妻鏡』によると・・・
時頼の父時氏は、1224年(貞応3年)に六波羅探題北方に就任。
時頼は、その在任中の京都で誕生しました。
1230年(寛喜2年)4月に鎌倉に戻りますが、6月18日に亡くなっています(28歳)。
そのため、時頼は祖父の北条泰時に養育されたのだそうです。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
鎌倉との繋がりを求めて。