1177年(安元3年)4月28日、京の三分の一が灰燼に帰す火事が発生。
鴨長明の『方丈記』は・・・
午後8時ごろ、樋口宮小路で発生した火事は、西北に広がり、朱雀門・大極殿・大学寮・民部省などが一夜のうちに灰になった。
『平家物語』は・・・
南東の風に煽られて大きな車輪のようなった炎は、今昔の名所30ヶ所余り、公卿の邸宅16ヶ所を焼き、ついには朱雀門・応天門・会昌門・大極殿・豊楽院・諸司八省・朝所を焼き尽くした。
と伝えています。
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~山王権現の祟り~
火事が発生する少し前、比叡山の僧兵による強訴が起こっています。
その時、平重盛の家人が神輿を射てしまうという事件が発生。
『平家物語』は・・・
「比叡山から大きな猿達が二、三千匹降り下りてきて、京中を焼いてしまったのだと、人が夢に見るほどだった」と伝えています。
比叡山の僧兵が強訴のために担ぎ出していた神輿は日吉大社のもの。
平安神宮の拝殿は大極殿を再現したもの。
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鎌倉との繋がりを求めて。