1606年(慶長11年)、
江戸城の大拡張工事にとりかかった
徳川家康は、石垣などに使用する石材の切り出し運搬を西国の外様大名に命じました(天下普請)。
採用されたのは伊豆石。
安山岩で緻密で耐熱性に優れた石なのだそうです。
伊豆高原駅前に展示されている巨大な石は、築城石と呼ばれ稲取地区から切り出されたもの。
重さは11トン。
山で切り出された石は、人力で港まで運ばれ、船に載せて江戸まで運んだのだそうです。
築城石の運搬は30年余り続き、最盛期には3000艘が月に2度、江戸と伊豆東海岸との間を往復したのだと伝えられています。
稲取地区には、切り出されたまま運搬されずに残った石が稲取駅前や街中に保存され、「残念石」と呼ばれているそうです。
伊東は
源頼朝が流人生活を送った地。
伊豆高原駅の近くには、仇討ちで知られる
曽我兄弟の父河津祐泰の
血塚があります。
江戸を本拠とした最初の武将は、
秩父党の江戸重継。
鎌倉武士の鑑といわれた
畠山重忠の大叔父。