JR中央本線の大月駅からもよく見える岩殿山。
この山には、甲斐国都留郡の国衆・小山田氏が築いたという岩殿城(岩殿山城)がありました。
小山田氏は、武蔵国の秩父を本拠とした秩父氏の流れを汲む氏族で、秩父重弘の子有重を祖としています。
源頼朝に仕え「鎌倉武士の鑑」と呼ばれた畠山重忠は、有重の甥です。
1582年(天正10年)3月、織田信長・徳川家康連合軍による甲州征伐が始まると、武田勝頼は岩殿城へと逃れていきます。
しかし、城主の小山田信茂の裏切りで、天目山の麓の田野で自害。
甲斐武田氏の嫡流は滅亡しました。
その後、勝頼を裏切った信茂は、信長への謁見を希望しますが、不忠者として甲斐善光寺で処刑されたと伝えられています。
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