玉縄城は、1512年(永正9年)、相模国を支配するために北条早雲が築いた城。
代々の城主は、氏時、為昌、綱成、氏繁、氏舜、氏勝。
難攻不落の城といわれたが、1590年(天正18年)、豊臣秀吉の小田原攻めの際に徳川家康に包囲され開城。
本多忠勝が龍寳寺を通じて城主の北条氏勝の説得に当たったのだといいます。
氏勝の説得にあたったのは徳川家康の命を受けた大長寺の僧暁誉源栄であったという説も。
玉縄落城後、小田原城も開城し、後北条氏(小田原北条氏)は滅亡。
四代氏政切腹、五代氏直は高野山に謹慎後、翌年11月に病死しています。
龍寳寺は、玉縄北条三代の菩提寺。
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