『吾妻鏡』によると・・・
1218年(建保6年)7月8日、
この日、左近衛将軍となった将軍源実朝の鶴岡八幡宮参拝に従っていた北条義時は、晩になって屋敷に戻ります。
すると・・・
休息していた義時の夢の中に、薬師如来につき従う十二神将のうちの戌神将が現れます。
そして・・・
「今年の将軍の参拝は無事であったが、来年の拝賀の日には供奉しないように」
と告げたのだといいます。
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夢から覚めた義時は、このお告げをどのように考えてよいか判断しかねたようですが・・・
翌日、大倉郷に御堂を建立して、薬師如来像を安置するように命じます。
これに対し、周囲の者は反対したようですが・・・
義時は、個人の負担で造営を開始したのだと伝えられています。
こうして完成した大倉薬師堂は、1218年(建保6年)12月2日に落成式が行われます。
導師は、退耕行勇。
本尊の薬師如来は、運慶によって彫られたものだったと伝えられています。
同日、源実朝は右大臣に任ぜられています・・・。
(辻の薬師堂)
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