『吾妻鏡』によると・・・
1213年(建暦3年)5月5日、和田合戦の褒賞を受けた北条泰時でしたが、考えるところがあるといって御下文を大江広元に託して源実朝に返したのだといいます。
実朝は何度も受け取るように伝えたのですが、固辞していたようです。
5月8日、御所に呼ばれた泰時は、
「和田義盛は、父義時打倒の挙兵をしたのであって、将軍に謀反を起こしたわけではありません。
私は父の敵と戦ったまで。
ただ、義盛の攻撃を防ぐために多くの御家人が戦いました。
褒賞は、それらの者に与えるべきであって、私が受けるものではありません」
と語ったのだと言います。
それでも実朝は褒賞を受け取るよう命じたのだとか。
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