兄源頼朝と対立し、1185年(文治元年)11月3日、都落ちした源義経。
大物浦から九州を目指しますが難破して失敗。
行動をともにしていた静御前とは吉野山で別れました。
その後は京都に潜伏していたようですが、比叡山延暦寺や興福寺に匿われていた時期もあったようです。
そして、青年期を過ごした奥州平泉へと向かいます。
『吾妻鏡』によると、義経が奥州平泉へ下ったのは1187年(文治3年)の春ごろ。
伊勢国(三重県)から美濃国(岐阜県)を通って奥州へ辿り着きました。
正妻の郷御前と子も一緒で、山伏や稚児に変装しての旅だったそうです。
『吾妻鏡』には「妻室男女を相具す」と記されていますので、この時、義経と郷御前との間には男子と女子の子があったのかもしれません。
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