源頼朝の挙兵を支えた武将の多くは桓武平氏でした。
北条氏の出自は定かではありませんが、北条時政・北条宗時・北条義時は平直方を祖とする桓武平氏とされています。
中村一族の土肥実平・土屋宗遠・中村景平、
三浦一族の三浦義澄・三浦義村・岡崎義実・和田義盛、
頼朝に鎌倉入りを進言した千葉常胤、
二万騎を率いて参じたという上総広常、
秩父一族の畠山重忠・江戸重長・河越重頼は、
平良文を祖とする桓武平氏。
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平清盛が京都で武家政権を築いたことや、源頼朝が鎌倉に幕府を開いたことから、関西は平氏・関東は源氏と思われがちですが、
清盛は、桓武平氏の祖で上総介として関東に赴いた平高望の子孫。
頼朝は、河内国を本拠とした源頼信の子孫。
源氏と平氏の拠点は逆だったようです。
よく鎌倉は源頼義や源義朝が館を構えたことで源氏ゆかりの地といわれますが、鎌倉権五郎景政や平直方などの平氏ゆかりの地でもあります。
(藤沢市)
村岡御霊神社は、平良文が勧請したことに始まるという社。
良文の館は村岡御霊神社の近辺にあったのだといいます。
鎌倉坂ノ下の御霊神社の祭神・鎌倉権五郎景政は良文の五代の孫に当たります。
景政も良文の村岡館に住んでいたと伝えられています。
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