北条宗時は、北条時政の嫡男。
1180年(治承4年)8月23日、源頼朝に従って父時政や弟義時とともに石橋山の戦いに臨みますが大敗。
『吾妻鏡』によると、
頼朝は土肥山中に逃れますが、時政と義時は箱根の湯坂道を経て甲斐国へ、宗時は土肥郷から桑原郷を経て平井郷へ向かおうとしたそうです。
しかし、早川の辺で伊東祐親の軍に包囲され小平井久重に討ち取られてしまいます。
『吾妻鏡』によると、1202年(建仁2年)6月1日、北条時政は夢のお告げによって伊豆国へ下向し、宗時の墳墓堂で追善供養を行っています。
ここに宗時の墳墓堂があったのかどうかはわかりませんが、函南町では「宗時神社」と呼ばれているそうです。
北条宗時の宝篋印塔
狩野茂光の五輪塔
狩野茂光は、石橋山の戦いで負傷し、歩けなくなったことから自害したのだと伝えられています。
北条宗時・狩野茂光の碑
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