比企時員は、比企能員の子。
二代将軍源頼家の近習として仕え、頼家が十三人の合議制に反発して指名した目通りが許される五人のうちの一人となりました。
1203年(建仁3年)の比企能員の変で討死しますが、妻は正法寺(岩殿観音)に落ち延び、男児を出産したのだと伝えられています。
翌年、妻は族の冥福を祈るため西国巡礼の旅に出ますが、男児は寺で育てられ、のちに北面の武士となり、1221年(承久3年)の承久の乱では、流罪となった順徳上皇に従って佐渡に渡ったのだといいます。
その後、子の員長とともに比企郡中山へ移り住んだのだと伝えられています。
正法寺は、718年(養老2年)の創建。
坂東三十三箇所の十番札所で、岩殿観音の名で知られています。
鎌倉時代、比企能員が復興しました。
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