1193年(建久4年)、源頼朝に謀叛の疑いをかけられた源範頼は、修禅寺(信功院)に幽閉されました。
その後、梶原景時に攻められ自刃したと伝えられています。
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~源範頼墓の伝説~
昔、源範頼墓がある地には、小さな石祠が建てられて八幡神を称し、8月15日を祭礼の日としていました。
祠の中の神は、冕冠(べんかん)を頂いた束帯姿で、左手に弓、矢を握っていました。
そのため、信功院で憤死した範頼の遺体をここに埋めたのだが、鎌倉に憚りがあるので八幡神を祀ったのではないかと伝えられてきたそうです。
そして、明治12年、当時の土地所有者が頭の骨が納められたものを掘り出したことから、伝説のとおり範頼の墳墓の地とされ、祠の横に「蒲候碑」が建てられたのだといいます。
範頼は、遠江国蒲御厨の出身であるころから「蒲殿」と呼ばれていました。
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