武田信光の墓
(伊豆の国市:信光寺)
(伊豆の国市:信光寺)
『日本伝説叢書:伊豆の巻』によると・・・
修禅寺に幽閉された源頼家は、北条氏が密かに漆を入れた温湯に入浴し、全身が漆によって皮膚炎となり、容貌は特に醜いものになった。
北条氏は、事実を曲げて「たちの悪い病気」だとし、北条政子はその容貌を木に刻んで鎌倉へ持ってくるように命じた。
この使者となったのが武田信光だった。
事情を知らない信光は、頼家の仮面を持って出発したが、信光寺の近くまで来て頼家が殺されたことを聞いた。
そして、全てが北条氏の悪い計略だったことを知り、怒りのあまりに自殺してしまったのだという。
ただ、頼家が暗殺されたのは1204年(元久元年)7月18日で、信光が死去したのは1248年(宝治2年)12月5日のこと。
(伊豆の国市)
信光寺は、武田信光の創建と伝えられる寺。
(伊豆の国市)
光照寺には、信光が鎌倉へ運ぼうとしていたという面が残されている。
(修禅寺)
源頼家は、1203年(建仁3年)の比企能員の変で失脚し、修禅寺に幽閉された後、翌年、暗殺された。
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