1180年(治承4年)8月17日、源氏再興の挙兵をした源頼朝が襲撃した山木兼隆の館跡。
『吾妻鏡』によると、
1180年(治承4年)8月17日の晩、北条館を出陣した頼朝軍は、まず佐々木定綱が弟の経高、高綱とともに兼隆の後見役だった堤信遠を討ちとります。
このとき、経高の放った鏑矢が、平家を征伐するための最初の矢となりました。
頼朝は「戦が始まったら火をつけるように」と命じていましたが、その火がなかなか見えないので、留守をしていた加藤景廉、佐々木盛綱、堀親家らを山木館へ向かわせます。
景廉には、長刀を与えて「兼隆の首を討って持参すべし」と命じました。
そして・・・
盛綱と景廉が山木館に入り、兼隆を討ち取りました。
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