『吾妻鏡』によると、
1185年(元暦2年)2月19日、平家追討の祈りを奉仕していた住吉社(住吉大社)の神主・津守長盛が京都へやってきて院に報告します。
2月16日に住吉社恒例の御神楽を奉納すると、子の刻(深夜0時頃)になって、神殿から鳴鏑(鏑矢)が飛び出し、西方を目指して飛んでいったのだとか。
『平家物語』によると、
昔、神功皇后の三韓征伐では、伊勢大神宮より二神が遣わせされたのだといいます。
一神は住吉大明神、もう一神は諏訪大明神。
鏑矢の話を聞いた後白河法皇は、「今回も朝敵を滅ぼしているだろう」と喜び、御剣以下、種々の神宝を津守長盛に持たせたのだとか。
それから間もない、2月19日、源義経は屋島の平家軍を敗走させ、3月24日には壇ノ浦で平家を滅ぼしています。
住吉大社の神主だった津守長盛の母は源為義の娘で、源頼朝や源義経の従兄弟という説があります。
のちに、頼朝と対立して逃亡生活を送ることとなった義経が吉野山へ向かう際、津守長盛のもとで一夜を過ごしたという言い伝えも残されています。
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