『吾妻鏡』によると・・・
1193年(建久4年)9月7日、伊豆国の江間で北条義時の嫡子金剛(11歳・のちの泰時)が小鹿一頭を射止めました。
11日に鎌倉へ戻った義時は、それを持って御所へ行き、矢口の祭りの準備を始めます。
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矢口の祭りとは・・・
狩りに出て初めて獲物があったときや、少年が初めて狩りに出て獲物を得たときに行われる祝いの祭り。
黒・赤・白の3色の餅を供え、選ばれた3名の者が順番に食べる儀式のようです。
矢口餅
鳩サブレーの豊島屋さんで販売されている「矢口餅」。
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義時が餅を供えているところへ源頼朝が出御。
足利義兼・山名義範ら数名が従っていました。
頼朝は、小山朝政を呼んで餅を食べさせます。
朝政は、餅を三回食べましたが、一度目は叫び声を発し、二度目、三度目は声を発しませんでした。
次は三浦義連。
三回食べて、毎回叫び声を発しました。
三人目は諏方盛澄。
前の二人の様子を知られないように、あえて遅らせて呼んだのだといいます。
三回食べましたが、叫び声は発しませんでした。
矢口の餅の食べ方は、家によって伝えられ方が違うことを知った頼朝は、感心したのだとか。
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