広木松之介は、1860年(安政7年)3月3日、江戸城桜田門外で彦根藩の行列を襲撃して大老井伊直弼を暗殺した水戸浪士の一人。
襲撃後、京都へ向かいますが幕府の警戒が厳しく、いったん水戸へ帰郷。
再び京都へ出発しますが、能登国より先へ行くことは叶わなわず・・・
本住寺に潜伏した後、越後国・越中国を転々としていましたが、越後国で水戸藩を出奔して隠れ住んでいた後藤哲之介と出会い、逃亡のための旅費を工面してもらいます。
鎌倉へ落ち延びてきた広木は、材木座の源七という魚仲買人の家に身を寄せますが、人の出入りが多い家で安全ではないことから、源七が上行寺の住職に相談し、寺で匿ってもらうことになったのだそうです。
しかし、襲撃した同志のほとんどが刑死したことを知った広木は、1862年(文久2年)3月3日、上行寺で切腹。
広木を逃した後藤哲之介は、広木が切腹する前年に捕えられ、「広木松之介である」と供述したたまま、江戸伝馬町の監獄に繋がれ、1862年(文久2年)9月13日、断食して亡くなったのだといいます。
1902年(明治35年)、広木は維新の功を認められて正五位を贈られました。
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