旧渋沢邸「中の家」(なかんち)は、渋沢栄一の生地。
1895年(明治28年)、栄一の妹夫妻が再建した主屋や土蔵が建っている。
若き日の栄一
Eiichi in Paris 1867
1867年(慶応3年)、栄一はパリで行われる万国博覧会に将軍の名代として出席する徳川慶喜の異母弟・徳川昭武の随員として渡仏している。
土蔵
土蔵
土蔵
土蔵
旧渋沢邸にある三基の碑は、栄一が眠る谷中霊園にあったが、渋沢家墓所の整理縮小にあたって子孫より寄贈されたもの。
渋沢平九郎追懐碑
渋沢平九郎は、栄一は従兄。
栄一が徳川慶喜に仕えて幕臣となると養子となった。