『義経記』によると・・・
1185年(文治元年)、源頼朝の追手から逃れるため吉野山に籠った源義経。
寵愛していた静御前も連れていましたが・・・
武蔵坊弁慶と片岡常春の意見を取り入れて都に帰すこととします。
嘆き悲しむ静御前に義経は手鏡を与えて
「これは私が毎日顔を写していた鏡。義経を見ると思ってこの鏡を見よ」
といって慰めますが、静は・・・
見るとても
嬉しくもなし増鏡
恋しき人の
影を止めねば
と詠みます。
義経は枕を取り出だして「この枕を身から離さず大切にせよ」と言ってこう詠みました。
急げども
行きもやられず
草枕 静に馴れし
心慣らひに
この他、多くの財宝をもらった静御前。
峰を上って行く義経とは逆に、静は谷を下って行きました。
静には二人の侍と三人の雑色が伴をしていました。
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『吾妻鏡』文治元年11月17日条によると・・・
義経が吉野山に潜伏しているという噂が流れたことから、蔵王堂の衆僧の長は、武勇に優れた僧たちに命じて、吉野山の山林を探させましたが、義経一行を見つけることはできませんでした。
しかし、夜になって義経の妾静御前が藤尾坂から蔵王堂に下りてきました。
静が衆僧に語った事によると・・・
義経とともに大物浦から吉野山へ来て5日間逗留していたが、僧兵が立ち上がったという噂が流れたので、義経は静に多くの金銀財宝を与えて京都へ帰す手立てをし、山伏の姿に変装して峰の奥へ姿を消したのだといいます。
その後、静は雑色らに財宝を奪われ、山深い峯の雪の中へ置き去りにされてしまったのだとか。
鎌倉との繋がりを求めて。
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