比丘尼山は、源頼朝の乳母で伊豆の流人時代の頼朝を援助し続けたという比企尼が、夫比企掃部允の没後に草庵を営んだという場所。
鎌倉幕府二代将軍源頼家の側室だった若狭局(比企能員の娘)は、伊豆国の修禅寺で頼家が暗殺されると、頼家の位牌を携えて故郷に帰り、比丘尼山の麓に頼家を弔うための壽昌寺を建立したのだといいます。
若狭局は、頼家の形見の櫛を大切にし往事を偲んでは涙にくれていましたが、それを見かねた比企尼は、櫛を捨てて思いを断ち切るように諭したのだといいます。
若狭局が泣く泣く櫛を捨てたのが串引沼なのだとか・・・
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2022年の大河は北条義時