筥崎博尹(はこざきひろただ)は、鶴岡八幡宮寺の正覚院の供僧でした。
『鶴岡八幡宮年表』によると・・・
1868年(慶應4年)3月、神仏分離令が発布されます。
明治に改元された10月、供僧・小別当が復飾(還俗)し、総神主・大禰宜と称するようになったのだといいます。
正覚院の供僧は復飾後に筥崎博尹を名乗り、1869年(明治2年)2月に神奈川県から総神主に任ぜられ、10月に神祇官より神職に補されています。
1882年(明治15年)10月11日には、鶴岡八幡宮の初代宮司に就任。
1897年(明治30年)2月26日没(67歳)。
筥崎博尹
(鶴岡八幡宮蔵:『図説鎌倉年表』より)
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