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2020年4月1日水曜日

外出は危険だから…自宅で鶴岡八幡宮その1:別当



鶴岡八幡宮は、1063年(康平6年)に、源頼朝の先祖源頼義が「源氏の氏神」である京都の石清水八幡宮を由比郷鶴岡に勧請したがその始まり(由比若宮(鶴岡若宮))。

1180年(治承4年)10月、源氏再興の挙兵を果たして鎌倉に入った源頼朝は、由比若宮を小林郷北山(現在の地)に遷して「鶴岡八幡宮新宮若宮」とし、武家の都市づくりの中心に据えました。


仮の別当(長官)には、伊豆山権現の専光坊良暹(りょうせん)が任命され、若宮や源平池の造営に携わっていましたが、12月には上総国より定兼が招かれて最初の供僧職に任じられます。


2年後の1182年(寿永元年)9月23日、源頼朝は、初代別当に園城寺の円暁を任命。

鶴岡八幡宮の社務職次第によると、円暁の母は六条判官為義の女ということですので、頼朝の従兄弟ということになります。

その後、尊暁・定暁・公暁(源頼家の子)・慶幸と園城寺関係者から登用されますが、六代目の定豪からは東寺系の別当も就任するようなり、十九代頼仲以降は東寺系で占められるようになっています。



二十五坊跡は、鶴岡八幡宮の別当坊と供僧坊があった所。



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