現れたのは、騎馬武者姿の義経と後ろに控える弁慶。
立派な像です。
この像は、源義経公没後830年事業の一つとして建てられました。
『吾妻鏡』によると、1189年(文治5年)閏4月30日、源義経は、源頼朝の圧力に屈した藤原泰衡に攻められ、衣川館で自刃しました。
その首は腰越の浜まで運ばれ、6月13日、侍所別当の和田義盛と所司の梶原景時が首実検を行いました。
首は、黒漆の櫃に入れられ、美酒に浸されていました。
首実検の様子を見ていた者は、皆涙を流して両袖を濡らしたのだそうです。
その後、捨てられた首が辿り着いた場所が白旗神社付近だったのだといいます。
京都の五条大橋での牛若丸と弁慶の戦いは有名な話ですが、
『義経記』では・・・
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