ここは、鶴岡八幡宮寺供僧の住坊「二十五坊」があった場所。
1180年(治承4年)、源頼朝は、何らかの罪で上総国に流されていた阿闍梨定兼を鎌倉に呼び、供僧職に任じます。
それが二十五坊のはじまりなのだとか。
1182年(寿永元年)には、二十五坊の初代別当(長官)に園城寺の円暁が任命されています。
※円暁は頼朝の従兄弟?。
二十五坊は、室町時代になると七坊にまで減ってしまいますが、1593年(文禄2年)に徳川家康が五坊を復興させて十二坊としました。
しかし、明治の神仏分離で全て廃されています。
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鶴岡八幡宮の西北、小袋坂の曲がり角辺りの一帯は古くは〔 ① 〕と呼ばれ、幕末まで鶴岡八幡宮を管理する供僧が住し、供僧坊があった。1191年(建久2)に、供僧〔 ② 〕口の制が定められ、それぞれの住坊がこの地に建てられた。
(第7回鎌倉検定1級の問題 問37)
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