『吾妻鏡』によると・・・
平治の乱に敗れ、東国へと向かっていた源義朝が美濃国に差し掛かった頃は、大雪で道は真っ白だったそうです。
『平治物語』によると・・・
父義朝とともに東国を目指していた源頼朝は、12月28日の晩に、義朝一行からはぐれ、雪の中を彷徨い、小平という山寺の麓の里に迷い込んだのだそうです。
『吾妻鏡』によると・・・
そこにいたのが近江国の草野定康。
平家の追手から逃すため、氏寺の大吉堂の天井裏へ隠しため後、院主の阿願坊をはじめとする僧に守らせて自邸に連れていき、翌年の春まで世話をしたのだとか。
その後、頼朝は伊豆国流罪となりますが、源氏再興の挙兵をし、鎌倉に武家政権を樹立しました。
ということで、定康は頼朝にとっては手柄のある者。
定康の所領は、平家の時代には源氏の者ということで没収されていましたが、1187年(文治3年)2月9日、頼朝はその所領を安堵しています。
(伊豆の国パノラマパーク)
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