源頼朝像
補陀洛寺は、1181年(養和元年)、源頼朝の祈願所として建立されたと伝えられる寺院。
頼朝像は、頼朝自らが彫ったのだと伝えられています。
頼朝像の前に置かれているのは位牌。
開山の文覚が書いたものとされています。
文覚裸形像
文覚裸形像は、文覚の自作だと伝えられています。
文覚は、もとは遠藤盛遠という北面の武士。
渡辺(源)渡の妻袈裟御前に懸想し、誤って殺してしまったことから、罪を償うために出家したのだと伝えられています。
1173年(承安3年)、神護寺の再興を後白河法皇に強訴したことで伊豆国へ流されます。
そのとき、蛭ヶ小島に流されていた源頼朝と出会って、挙兵を勧めたのだとか・・・。
文覚は34歳、頼朝は26歳のときでした。
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