明恵は、1181年(養和元年)、神護寺の文覚と、その弟子で叔父の上覚に師事。
1188年(文治4年)、出家して東大寺の戒壇院で受戒。
仁和寺で真言密教、東大寺で華厳宗・倶舎宗を学び、臨済宗開祖の栄西からは禅を学びますが、世間の煩わしさから離れるため紀州白上峰に隠棲。
そして、1206年(建永元年)、後鳥羽上皇から栂尾の地を下賜されて高山寺を中興しました。
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宇治茶は、静岡茶・狭山茶と並んで日本三大茶と呼ばれます。
明恵は、栄西からもらった茶の種を高山寺の山内に植えました。
(高山寺)
そして、育成された茶の木は、宇治に移植されます。
宇治市にある萬福寺は、禅宗の一つ黄檗宗の大本山。
中国明朝風の伽藍が並ぶ寺です。
山門前には「山門を出れば日本ぞ茶摘うた」という句碑があります。
そして、総門の前にあるのが「駒蹄影園址」(こまのあしかげえん)の碑。
高山寺の明恵は、この辺りに栂尾で育てた茶を移植させたのだといいます。
伝説による、明恵から茶の木を与えられた里人でしたが、それをどのような間隔で植えたらよいのかわかりません。
すると、明恵が畑に馬を乗り入れ、馬の蹄の跡に植えるよう指示したのだといいます。
碑には「栂山の尾上の茶の木分け植えてあとぞ生ふべし駒の足影」と刻まれています。
この移植が宇治茶の始まりとなりました。
平等院の門前
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鎌倉との繋がりを求めて。