奈良の大仏は、聖武天皇の発願によって造立された東大寺の本尊・盧舎那仏坐像。
鎌倉の大仏は、高徳院の本尊・阿弥陀如来坐像。
いずれも青銅製で国宝。
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東大寺は1180年(治承4年)の平重衡による南都焼討で灰塵と帰します。
再興に奔走したのは俊乗坊重源。
それを支援したのが後白河法皇と源頼朝でした。
1185年(文治元年)に大仏の開眼供養が行われ、1195年(建久6年)には大仏殿が落慶しています。
大仏殿の落慶供養には頼朝も参列しました(参考:上洛・東大寺大仏殿落慶供養)。
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一説によると・・・
鎌倉大仏は源頼朝が造立を思い立ったのだといいます。
しかし、頼朝はそれを果たすことなくこの世を去ってしまいました。
頼朝の侍女だった稲多野局(いなだのつぼね)は、頼朝の志を受け継いで大仏造立の発起。
そして、東大寺の再興に尽力した重源の影響を受けていたという浄光が勧進して造立したのだといいます。
伝説ですので、現在の学説とは異なるのかと思いますが、頼朝が東大寺で金色の大仏を観て「鎌倉にも大仏を・・・」と考えたとしてもおかしな事ではなさそうです。
(鎌倉大仏背後)
鎌倉大仏の背後には稲多野局の笠塔婆が置かれています。
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現在の大仏殿は1709年(宝永6年)に落慶した建物で、幅57.5m、奥行き50.5m、棟までの高さ49.1m。
世界最大級の木造建築物で、国宝に指定されています。
鎌倉大仏もかつては大仏殿の中に鎮座していましたが、1495年(明応4年)の「明応の大地震」によって崩壊し、鎌倉大仏は露坐となったのだと伝えられています。
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鎌倉との繋がりを求めて。