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2017年11月12日日曜日

源実朝没後800回忌~秦野市:実朝御首塚~

鎌倉幕府三代将軍の源実朝は、1219年(建保7年)正月27日、鶴岡八幡宮での右大臣拝賀式を終えた後、甥の公暁に暗殺されました。


源実朝像
源実朝像
(金剛寺蔵)

鎌倉幕府の記録『吾妻鏡』によると、実朝を暗殺した公暁は、三浦義村邸に向かう途中で長尾定景に殺され、公暁が持ち去った実朝の首は行方不明。

実朝は首のないまま勝長寿院に葬られたのだと伝えていますが・・・。


源実朝公御首塚
(秦野市)

秦野市には実朝の首塚があります。

公暁が持ち去った実朝の首は、武常晴が拾い上げ、波多野氏を頼ってこの地に葬ったのだと伝えられています。





金剛寺

金剛寺は、源実朝の首が葬られたことが始まりと伝えられています。

波多野城址

波多野城址は、相模国波多野荘(現在の秦野市)を本領とした波多野氏の居城跡と考えられています。




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