「お十夜法要」は、伊勢貞国(平貞国)が真如堂に籠もったことから始まるのだと伝えられています。
伊勢貞国は室町幕府の政所執事を務めた人物。
戦国時代の幕を開けた北条早雲は外孫です。
※早雲の出自については様々な説があるようですが、伊勢盛定の子・盛時というのが定説となっているようです。
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~お十夜の始まり~
この世の無常を感じた伊勢貞国。
若い頃から阿弥陀如来を信仰していた貞国は、三日三晩、真如堂に参籠して、満願の暁には出家することを考えていました。
すると・・・
貞国の夢に僧が現れて告げます。
「阿弥陀を信じるのなら出家するのは三日待て」
そして、その三日後。
足利義教に仕えていた兄貞経が失脚させられて吉野に謹慎。
貞国があとを継ぐことになりました。
夢告がなかったら、自分は出家してしまい、兄の跡を継ぐどころか家が絶えてしまうところでした。
阿弥陀さまに感謝した貞国は、七日七晩重ねて参籠したのだといいます。
合わせて十日十晩の参籠となります。
これが「お十夜」の始まりだと伝えられています。
「心だにたてし誓ひにかなひなば世のいとなみはとにもかくにも」
貞国の夢枕に現れた僧が残した歌なのだといいます。
(京都)
十夜の念仏会は、平安時代に慈覚大師円仁が唐の清涼山から比叡山に伝えたものといわれ、室町時代になって後花園天皇が京都東山の真如堂に伝えました。
そして、享徳年間(1452年~55年)、伊勢貞国が真如堂に籠もって、10月6日から15日までの10日間にわたって勤行したのが、現在の「十夜法要」のはじまりと伝えられています。
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~光明寺のお十夜~
光明寺のお十夜は、1495年(明応4年)、第九世観誉祐崇が後土御門天皇の勅命で清涼殿において「引声阿弥陀経」・「引声念仏」による法要を勤修したことで勅許されました。
「引声阿弥陀経」や「引声念仏」は、ゆるやかな曲節をつけて声を引き伸ばして唱えるもの。
慈覚大師円仁が中国唐から比叡山に伝えたのだとされています。
(延暦寺西塔)
延暦寺西塔のにない堂は常行堂(左)と法華堂(右)が廊下で繋がった建物。
慈覚大師円仁は、常行堂で引声念仏を行ったのだといいます。
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